お久しぶりです。サンドの色違いよりチルタリス、Amatiです。一か月ぶりですね。まだ夏かよと言っていた秋から、気付いたらもう冬かよと言いたくなるような秋になりました。秋ってなんなんだ。 今年の秋は飽きっぽいものが全然なく終わりましたね。学祭すら行っていないのはいかかがものかと思わないこともないですが、まあ僕の四季の楽しみは冬が本番なのでいいです。誕生日、期待してるよ。

 さて今日のテーマはピアノに膝をついた話と、そこから学んだ「努力とは何か」という話です。

たしか、中学生のときだったでしょうか

ピアノを始めたのは中学二年生の時だったでしょうか、始めたといっても祖母の家にあったのをちょびちょび弾いていただけで、不協和音を家中に響かせて祖母の顔を歪めまくってました。楽しかったなぁ。

ただ長続きはしなかったです。ほぼほぼエスカレーター進学だったとはいえ受験があったので、というのもそうですがシンプルにモチベがなくなったのが大きかったです。なにしろ祖母家でしか練習できないし。当時スマホも無かったから好きな曲も弾けませんでしたしね。ただ、楽譜を暗記して東方の「初心者でも弾ける」シリーズを弾きまわることが中学生の頃の生きがいだったような気もします。なんでこんな曖昧な表現なのかというとそんなに覚えてないんです、しょうがないね。

転機は勢いが大事、大学生だもの

 大学一年生四月、ピアノのサークルに入りました。音楽系のサークルに入ることは決めていて、軽音も考えはしたのですが、ピアノに対する羨望が抑えられずにほぼ即決で決めましたね。ピアノの音に勝る音はない、今でも変わらない音楽感です。

んで入った直後に一回ぽきーーーーっと折れました。そりゃもうポッキーどころかじゃがりこ並みの粉々に。理由はシンプルで、あまりにもレベルが違いすぎる。

うーん、2,3人は初心者みたいなのがいると思ったんですけどね。見事に全員「ヤマハ習ってました」族か、「コンクール出てますよ」人でした。全員と会ったわけじゃないですが、顔を合わせた全員そんなんだったので多分みんなそんなやつです。そりゃもうリアルぴえん顔しちゃいましたよさすがに。

ただこんなことであまちは折れません。最悪こうなるなぁとは想定してましたしね。それに自慢じゃないけどこちとら高校の時は未経験から硬式テニス県大会まで行けたんじゃ!ここで折れたら負けだろ!と試しに一年間独学でやってみました。

一年間頑張ってみたんだけど

結論から言うと、そんなにうまくなりませんでした。おかしいな、教本は終わらせてそれなりに色んな曲に挑戦したんだけどなー。もちろんサボってた時期もあったにはあったけど、それにしてもなんだろう、あまりにも上手くなってる実感がない。いやもちろん弾ける曲は増えたし、前よか指も動くのは間違いないのだけど。

もやもやした感覚もありつつ、試しにピアノの教室に通ってみることにしました。ひと月13000円の月謝は安くなかったです、ただまぁ大学で音楽の土台を作ることは僕にとって死活問題だったので縋れるものにはなんでも縋りますよのメンタルで泣きながら支払ってました。何となく自分は間違った努力をしているんじゃないか、的な疑念はこの頃から感じ始めてきましたね。

転機は冷静な眼差しが大事、もはや。

自分に満足できないピアノという音楽と対話しようと考えたのは10月くらいからです。そのころにはもうピアノ教室は辞めて少し作曲の方に軸を置いて頑張ってました。一年半苦心したピアノと違って作曲の方は日に日に上達を感じました。11月には曲名と構想が決まり、12月内にやれるとこまでやろう!って感じでモチベーションもめっちゃーむっちゃー高まりました。

作曲が日に日に上手くなるのを感じると共に、心に浮かぶのはピアノの事です。なぜこうも同じ努力でも差があるのか、自分なりに考えてみて一番しっくり来たのを書き記します。

努力とは

「努力とは」。難しい質問だと思います。人によって行っている努力の形が違えばこそ、画一的な回答はここでは用意しません。でも、努力に必要な二要素があります。「反復」と「継続」です。これは確信をもって言えそうです。

反復と継続を努力の根幹とするならば、それの最大の障壁はなんだろう。努力ができない要因とは何だろう。

私が思うに障壁は大きく二つ、一つは自分の能力に希望ができないこと。要するに「頑張っても意味がない」と思う自己肯定感のなさが要因という話です。この話も掘り下げたいですが、今回の話の趣旨ではないので省きます。

そして二つ目が今回の私のケース、「焦り」です。早く目標に達しようとするあまり反復が足りないまま次に進んでしまうこと。そして焦って無理な努力ばかりするあまりモチベーションも維持できずに、継続が疎かになっていくこと。今思えば、僕の場合はこれが顕著だったなぁと思います。「焦り」という言い方をしましたが、もっと踏み込んで言えば「他人との比較」です。サークルメンバーに早く追いつこうと実践的な練習ばかりしていたことがこの二年弱の最大の誤算だったと思います。

自分がピアノに充ててきた努力が最善ではなかったと分かった今、「じゃあ改めてゆっくりピアノをやればいいじゃん」という考えも無きにしも非ずですが、恐らく無理です。ピアノという楽器、奏者が多すぎるんです。なのでこれから周りと比べずにマイペースで努力するのは不可能です。大学卒業後まで見据えるならまぁまぁですが、在学中に自分の音楽の土台としてピアノに焦点を当て続けるのは無理だなって感じちゃいました。

これから

そういえば結構大事な話なのに今まで話してなかった気がするので、僕の大学での音楽とのかかわり方について話します。僕にとって音楽は「自己表現の土台」です。言い換えれば、僕は大学生になるにあたって自分を表現する土台として音楽を選びました。そしてその音楽の土台としてピアノを選びました。

だがしかしたかし、自分の音楽の土台としてピアノが機能しなくなっちゃったので代わりの土台が欲しいなぁといったところです。作曲は土台じゃないの?と思う人がいるかもしれませんが、あれは表現物です。作曲というのは、土台となる楽器や音楽観があるからこそオリジナリティがあるのです(ピアノの名残として僕の曲は弦楽器よりも鍵盤楽器の方が主張強めだったりします)。

そんなこんなで、自分のペースで努力できて自分らしい楽器を探しているのですが、色々な楽器の演奏を聴き漁って「これよくね!?」と思ったのが何個かありました。在学中のあと二年、試行錯誤しながら音楽の土台を決めていこうと思います。

ピアノについてですが、もちろん辞めるわけではありません。ただ、最優先ではなくなると思います。今後はサブ楽器としてこれからも気ままに弾きたい曲があったら弾く、くらいの気概で付き合っていこうと思います。

相も変わらず殴り書きなもので・・・

色々持論とかも語りましたが、自分の考えに自信があるかといわれれば、まあびみょいです。だってピアノなんて、たかが一年半しかやっていないわけです。なんで今頑張ってる人に「一年半じゃ努力なんて言わないよ!」って言われたらもう「ぐうう」としか言えません。犬系彼女みたいで可愛いね。ただまあ、今回は自分の直感とロジックを信じることにします。それで次の楽器でも「全然うまくならないんだけど!」ってなったらその時はその時の僕がまた考えます。ほなまた、殴り書きと言いつつ2時間かかりました。