ルックバックの”感想”を語ります。まだ見たばかりの余韻のまま殴り描きます。”批評”はまたいつか描きます。

藤本タツキらしさ、といっても私はチェンソーマンしか知らないのだけど、その中でも際立ったものがあったと思う。それは、「プロット」や「起承転結」では表現出来ない、支離滅裂とも捉えられてしまうような急展開に特徴づけられる。ただ、その「支離滅裂」さ、つまり「整理整頓されていないこと」こそが現実であると、私はそのような観点からチェンソーマンが大好きだった。現実というのは起承転結では無い、プロットなんてない、ただそこに物語があるだけ。

しかしチェンソーマンはどこまでいっても人が死にまくるフィクションであり、リアリティというよりかは狂気性に写ってしまっていた。しかし、だからこそ、私は藤本タツキという作家を見誤っていた。今回の「ルックバック」という現実世界を舞台にした作品では藤本タツキの描く「整理されていない人間」がより際立つ。

藤本タツキは心理のデッサンのプロだ。特に「1人の人間」を書くことが異常に上手い。これはもう本当に異常であり、よく言えばとてもリアリティがあり、悪く言えばアニメとしては表現不足だとも言える。加えて心象を言葉や表情ではなく、構図と行動だけで表す。映画中では、数年規模狂ったように絵を描き続ける藤野の姿を後ろ姿と背景の変化だけで表現している。

「1人の人間」を描くことが異常に上手いと書いた。それを感じたのは例えば、人が変わるきっかけの描き方だ。大きなきっかけや事件による変化では無い、本当に些細なことが背中を押して、人物を大きく変える。それは周りからは気づかない、配慮もできないほどの小さな出来事、しかし本人の視点では、ちょっとした揺らぎがあったのだ、その末の最後のひと押し。そのような感情の機微、ちょっとしたこと、その描写がほんっっとうに上手かった。

これは言語化できるものではないんだ。映画を見るしかない、見て欲しいんだ。

進む現実の中で青春をして、幸福して、過ぎゆきて、また別の道に進んで、悔やんで、降伏して、変わって、前を向こうとして、そうして積み上がってきた過去を追悼する。

ルックバックというのはそういう作品です。感想はまだ纏まりませんが、自分は久々に、リステージの9話ぶりに、5年振りに大泣きしました。初めての種類の感動でした。悲しいとか、嬉しいじゃない、心が振り動かされて泣いたんです。すごい作品でした。