青い瞳のあなたへこんにちは、あまちです。今日はエンパープルの解釈の話をしたいと思います。
エンパープルはニーゴバナー5週目の先鋒、まふゆイベント「灯を手繰り寄せて」のイメージ楽曲です。
公式のゲーム版が出ていなかったので本家の方を貼ります。1度聞いてから本稿を呼んでくれると嬉しいです。
⚠ 本稿ではゲーム版の尺までしか解釈しません、フルバージョンは疲れます。
まずタイトルから見ていきます。エンパープル、英語にすると「Empurple」 これは造語ではなく実際にあるようで意味は「紫に染める」です。これがもう答えなのですが、当然今までのまふゆのストーリーの文脈を追った上で見返すと大変趣深い題名です。それはまた後にまとめます
(私はエンパープルをずっと「Enpurple」だと思ってて、「紫を付与する」の意だと思っていました(encourageと同じ要領で))
電線に跨って 明日どんな自分かを考える
電線とは電気を通すものです。心の電源をオンオフしながら、明日演じる自分を考えているという意でしょう。
運命を匿って 黒いドレスの少女は考える
運命とは「やるべきこと」、「期待されてること」の意です。また、黒いドレスとは「染まらない」ことの意味の他にも「親への反抗」の意もあると思います。黒いドレスというのはちょうど僕らの親世代ではマナー違反とされるものだからです。総括すると、「やるべきこと」を大事にしながらも心底は染まらないというほのかな反抗心を見せています。また、黒というのが揺るがない色ということも押さえておきましょう
解答が錆び付いた 君はどんな顔する花弁のレベッカ
考えた結果、解答が錆び付いた。この錆び付いたは比喩的に「以前は機能していたものが機能しなくなった」の意味でいいと思います。今まで出来ていた振る舞い(解答)ができなくなったのです。これはイベントのまふゆの状況と酷似します。
そして、レベッカというのは予想でしかありませんが「黒い瞳のレベッカ」からの引用だと考えました。作中のレベッカは貧しい家庭環境に苦しみながら、それでも明るく今を生きることで、少女から女性へと成長していきます。作者曰く、「少女から女性へと移り変わりの複雑な感情」を描いた作品らしいです。
家庭環境に苦しみながら、「将来は分からなくても今を生きる」と解答を出したレベッカ。そうしたレベッカに自分を重ね合わせ、君はどんな解答をしたのかと問うていると解釈できます。
本当の私が喉に使えているまま Empurple
ここまでの歌詞を振り返りましょう。まず自分をオンオフして仮面を演じ続けていた1行目。やるべきことをこなしながらも微かに反抗心を見せていた2行目。そして、今までの振る舞いが出来なくなって人に解答を求める3行目。
気づきましたか、これまふゆのイベントの時系列になるんです。仮面を被っていたまふゆが、親へと反抗を始めだし、そうして仮面が破れてついに今までの自分が保てなくなって人に駆け込むまでが描かれているのです。
レベッカは作中で重ねるなら「宵崎奏」でしょう。同じ厳しい家庭環境で育ちながらも覚悟を決めて今を生きる黒の少女、それがまふゆにとっての奏なのです。黒の瞳の黒とは、先ほどの黒のドレスに乗っ取って染まらない色の比喩でしょう。奏の持つ揺るがない覚悟を表しています。
さて、歌詞に戻ります。つまるところまふゆは知覚したのです。本当の自分が喉の奥にいる、出せてこなかったものがあることに。それが紫色を帯びている。そういった歌詞なのです。
私の左手を開けてみて まだ青い瞳の
左手を開けてみて、は上手い解釈がどうも浮かびませんでした。ですが注目したいのは青い瞳の方です。青い瞳の青とは「理性」、すなわち「やるべきこと」の象徴です。そして、青とは紫の片要素です。
まだ青い瞳、そう”まだ”なのです。今までやるべき事をやって仮面を被ってきた青い瞳の少女まふゆを表しています(厳密には色を失う前の完璧に演じていた頃のまふゆです)。
私が見たら呆れるかしら 素直な気持ちだけで生きていたい
素直な気持ち、情熱です。やりたいことをやる私を(まだ青い瞳の)私が見たら呆れるかしらという意です。サビからは「情熱」が現れます、色にすると赤色。さぁ面白くなってきました。
手を繋いだら わかるといいね
手を繋いでも分からないのです。手を繋いでるのは赤い瞳の私と青い瞳の私でしょう。手を繋ぐという単純な行為であり、子供の象徴です。今までの子供の感覚では分からないほど複雑な感情だということを表しています。後述しますが、紫というのはそういう色であり感情なのです
Please,Forgive me and “Purple” まだ真ん中の私 Empurple
”まだ”真ん中の私 という表現が出ました。赤にも青にも振り切れない自分を許してという解釈をしました。振り切れた自分でないといけないという気持ち、複雑であってはいけない、という気持ちは優等生であり、少女から女性への過渡期にあるまふゆらしい締め方だと思います。
心はどんどん複雑になります。情熱を持ちながら、冷徹にもなる。やるべきことをやりたい、やりたいことをやらなければならない。人を喜ばせたい、自分が喜びたい。一見正反対に見えるものが共存しだし始めます、それが大人への成長です。そしてその象徴こそが「紫」という色であり、紫に染まることとは、そんなまふゆを肯定することなのです。
これまでのまふゆはやりたいことをやるべきことで潰していました。赤色を青色で消してしまっていたのです。結果として、物語始まり時点でまふゆの心は「無色」であり、何も感じられなかったのです。紫という複雑な色の感情を受け入れて、まふゆらしさを得ていく。エンパープルはそんな歌だと思いました。
今回はここまでです、ありがとうございました。