1ヶ月ぶりの投稿になります、あまちです。散文体で近況を報告します

木曜日だった。スーパーからアパートの帰路の途中で絡みついてきた猫の甘さが今の自分には暑すぎた。暑すぎたというよりも、そこには湿度がなかった。カラカラしていた。火がついた音(幻聴?)がした。導火線から逃げなければ!家!家に帰らなければならないという直感を得た。家なんてここにはないだろう!!と言い出したが最後、梅雨の悪魔が光輪を携えて右脳と左脳を繕い始めたんだ!

  思うに、前戻り現象はかなり現実的に進んでいた。ここ数年の後戻りを取り返すかのごとく、何かを期日に間に合わせる日々の連続だった。それは好調(かなり肯定的な物言い!)と呼ぶに相応しく、カフェチェーンの分不相応に高いコーヒー(あの気取ってる苦々しさの塊ごとき!)一杯からでさえ勝機の甘みが香っていたほどである。

大学の講義で海外文学を読んだ。ドゥグレなんとか……バリィどうとか…、こうした作家(まだモデルが少ないことは無視)が書いてることは人間の崩落だと思えた。どこかの地点(きっと主観的に後戻りできない地点)で人数が減ること、対照的によく知らない人が増えること、それらが自分のスペースを席巻し始めることなのだと印象づいた。物語を語る人間なんてものは、詐欺師か自分の感性への賞賛を期待するものなのだと語ってる人がいた。厳密にはこれは違う。彼らは詐欺というよりは増殖を目論んでおり、感嘆ではなく共感を求めているのである(というのが、当時の見解だった)。

涙は優しい気持ちのメタファーである。スーパーでの買い物帰り、友人の姉の訃報を聞いた私は酷く怯え、花を送った。記憶が正しければ5月の連休前ほどである。乾燥仕切った彼の姉に対する態度は恐らくそのような振る舞いが正しいのだという彼なりの宗教があったのだろう、本心ではないという確信めいたものがあった。ともかく彼は泣いていたのだ、それは後に分かった。自分の直感というものはなんて信用出来るものか!

色とりどりの花が互いの美貌を掛けて争うのが5月なら、紫陽花の独壇場となるのが6月である。そもそも紫陽花なんてものは気心の知れない花である。その傲慢さたるや先人から「浮気(移り気)」の言葉を与えられるように、自分勝手な花なのだと解釈されてきた。そのくせ表向きには「家族」というたいそうな言葉を掲げているのだから嘲笑も止まらない。が、オルタンシアという仏名だけは変え難い魅力があるとだけは伝えておきたい。

6月12日は選考課題の期限だった。汎用的いんたぁんこそが分相応だと自問自答形式の読み聞かせをしながらも、どうしても前戻り現象(奇跡)を手繰り寄せたくて、自分の感性を示す機会に飛びついた。結果的にこれは、いや厳密には結果はまだないのだが、それでも結果的(日本語は難しい)には正解だった。それは先述した通りである。

爆弾はその破壊対象物よりも小さいというものがセオリーである。人を破壊する爆弾は手のひらサイズであることが多い。街を破壊する核爆弾は到底街を覆い尽くすような巨体は持ち合わせず、せいぜいがオフィスビル程度のものである。だが見落とされがちなのは、破壊対象物以外をも破壊せしめる暴力性をもって、それらは畏怖されているのである。

窓を通じて見える景色は青い芝生などではなく、とことん暴虐だった。無害無垢の裏には必ず暴力があった。この暴力という言葉は男性的だと解釈されがちだが、現代においてもはやそれは表現の誤謬である。現代的暴力とは老若男女普遍のものである。小学生女児というかつては庇護されていた存在でさえ暴力の可能性を排除できない。言葉など変わる。所詮は人が作ったものだと思い知らされる。

暴虐を持って私のかの友人は命を捨てかけた。未遂だった。往復3万いくらかの大金を叩きつけながら駆けつけた。目は乾いていた。喉も乾いていた。憑き物が落ちたように見えた、見えただけだった。自分のことを鏡無しで見ることなど人はできないのだから。その時に私は、私はついに、自分の暴虐性を知覚し、吐き気し、言動を悔やみ、涙の使い方を間違え、ついには乾ききってしまったのだと!!

友人は幼稚園からの幼なじみである。